コミュニティを持とうという意志についてはかなり初期の頃から持っていた。GIGAZINEがAdSenseで収益化されるよりももっと前、なんなら私が小学生の頃からそういう意識があった。ただ、「コミュニティ」というハッキリとした定義ではない。小学生の時分では単純に「仲間」程度の感覚だ。
かなりハッキリと「コミュニティ」の存続というのを意識し始めたのは大阪の千里高校で、「報道部」に在籍している3年間がきっかけだろう。単なる高校の部活動だったが、英語の教師から高1の授業中に「自分の所属する部活動について説明せよ」ということで説明したらなぜかクラスメート全員とその教師から笑われた。なんだそのクラブは?聞いたことがない、と。これで頭にきて、高2の際に部長になって部員数を一気に増やし、文化系で最大勢力を誇る部活にした。山のようにトラブルは起きたが、有意義だったことに変わりは無い。
関西学院大学の経済学部に入ったときも、最初の1年・2年はコミュニティ的なものはなかったのだが、3年・4年時に学部と学年の壁を超えて1つのコミュニティが完成した。教授が過去問を使い回しているので過去問を持っているサークルや部活の先輩が絶対的な権力を持っているであるとか、校門前ではノート屋が堂々と店を構えているおかげで講義に出席する学生がほとんどおらずお金で解決するようになっていたであるとか、学祭委員会が腐敗していて学生の予算を毎日飲み会に使っており公式サイト1つない悲惨な状態であったとか、そういうろくでもないことをことごとくつぶしてまわるコミュニティであった。
ほかにも社会人になってからいくつかのコミュニティに所属したり主催したりを繰り返しており、それなりの知見を持ってはいるのだが、もっと根本的な理解をする必要があるなと思ったのはGIGAZINEをメインにし始めてからになる。
根本的な理解とは何かというと、過去の歴史に学ぶということ。現時点まで続いているコミュニティの形として、「宗教」「国家」は強力なコミュニティと言える。それぞれの歴史を研究していくことで、どういう経緯、さらにどういう理由でコミュニティを必要として、今の形に至るまで発展していったのか。そしてどこに限界点があり、次の形は何なのか。
まず限界点から。今の国家を見ればわかる。既に限界点に達しており、現実世界の問題を解決することができなくなっており、むしろ逆、現実世界に問題を作り出している。コミュニティとして巨大化しすぎたというのもあるが、主な原因は3つある。
1:腐敗
2:嘘
3:寿命
1つめの「腐敗」は今まさに日本でも他の国でも見受けられるもので、コミュニティがまともに機能していない何よりの証拠となる。コミュニティというのは本質的にそのコミュニティに属している人間にとって利益をもたらすものである必要性がある。何の利益ももたらさないコミュニティに存在価値はない。もっと言うとこういうことだ……コミュニティに属する一部だけが得しており、ほかのメンバーが不利益を被る、これを「腐敗」と呼ぶ。
現実世界で最も強力な力を持っているコミュニティ「国家」はどれもこれも多かれ少なかれ腐敗している。なぜなら、子どもが生まれるから。我々がこの国家を選んだわけではない。結果的にここに住んでいるというそれだけの理由で強制的に所属させられているに過ぎない。国家というコミュニティにおいて最大の禁忌は「移動」であり、地理的移動が人権と呼ばれるものの中で最も大事だ。自分の所属するコミュニティ「国家」がろくでもないと感じたのであれば、移動して出て行き、新しいコミュニティを作るとか、新しいコミュニティに所属すればいいから。日本の場合、日本語圏の国家が1つしかないため、選択の自由がない。選択する自由が無いと言うことはいわば独禁法違反のようなものだ。日本人を独占している。一応47都道府県あるので地方自治の原則に基づけばある程度の選択は可能だが、国家というコミュニティ自体を離れる選択肢は無い。海の向こうのどこか別の大陸に第2日本国があるわけではないし、現実的に考えてもう1つの日本国家を作るのは無理すぎる、不可能だ。「何もしなくても所属を強制されているコミュニティ」というのが国家であり、特に日本のような国家の場合、選択肢がないので国家としての魅力を上げることを権力者が怠るのは必然と言える。権力者の知り合いであると言うだけで優遇され、内輪で利益を回し合う、そういう縁故主義の極みが行き着く先が「腐敗」だ。
2つめの「嘘」というのは法律のこと。ルールは現実の力を持たない。フィクションであり、根拠がない。例えば時速20キロ制限の道路があるとする。しかし自分が運転している自動車は時速100キロまで出せるので、時速20キロ制限でも時速100キロで走ることができる。なぜ時速20キロ制限なのかというと、しばらくいくと急カーブの崖があるからだ。制限速度以上で走って突っ込むと曲がることができずに崖から転落死する。だから20キロ制限がある。時速20キロを超えると罰金。これが「法」。しかしこれはただのフィクションなので守らせる力が無い。国家はこのフィクションを守らせるため、実力としての暴力、警察を必要とする。法を守らなければ捕まえて罰則を与えますよ、と。しかしありとあらゆるところを警察が見張ることはできないし、警察がいるからと言って時速100キロで突っ込んでくる自動車を防ぐことはできない。では嘘ではないルールとはどういうものかというと、まず自動車自体について本当にそのカーブでは時速20キロ以上出せない仕組みを導入すること。さらに仕組みが壊れた場合に備え、急カーブにガードレールを設置すること。この2つは嘘ではない。ホンモノとしての実力によって裏打ちされている。フィクションではない。「法」の中にはフィクションに過ぎない法と、実際に実力を伴う法がある。同様にして科学的根拠のないでたらめのフィクションに過ぎない法と、科学的根拠のある法が存在する……理屈としては。しかし、現時点でほとんどの国家が制定している法は「科学的根拠」を無視していることが多い。経済政策であろうが何であろうが同じ。その法にはどのような理論や根拠があるのか?それは証明可能なのか?フィクションに過ぎないのではないのか?しかし国家というコミュニティにおいては、「建国神話」があるように、根っこの部分がフィクションで構成されている。そういう意味では宗教コミュニティはフィクションをベースにしたコミュニティだと断言できる。しかし、国家もまた「法」というフィクションから成立している。法が嘘なので、警察を必要とする。無理矢理ルールを守らせるために。そういう古い法、暴力と罰則で無理矢理守らせる法はやめるべき。そのせいで何の実力も無い権力者が上に立つことになる。いくらでも嘘で法を作ることができるから、できもしないこと、何の証明もされていないことを法にできるから、1つめの「腐敗」につながる。大多数の支持を得ていることはそのものの正しさを証明しない。投票の数がいくら多くても、正しいこととは何の関係も無い。嘘を補強する材料でしか無い。腐敗と嘘はくっついている。
そしてラスト、3つめが「寿命」。これは人間の寿命を指す。もしもそのコミュニティにおいて、腐敗しておらず、嘘もつかないものがトップに立ったり、そういう集団が存在していたとしても、やがて死ぬ。これによって、正しさは失われる。あるいは逆。今の日本が陥っているような「国民の数が少ない」というのは本質的に考えれば権力者の権力を弱体化させるので、ありとあらゆる手段でもっと本気になって対策しなければならないのに対策しない。理由はおわかりのとおりで、「権力者は老いているのでもうすぐ死ぬから未来なんてどうでもいい」のだ。100年先のことを考える国家はもはや存在しない。自分が生きている間に得すればいいのであって、未来が失われても、どうせ自分は寿命とかで死んでいるのでどうでも良い。人間は誰でも老いて死ぬ。腐敗と嘘で国家というコミュニティがめちゃくちゃになっていくのは必然。自分はもう死ぬのだから。何かよほどの理由がない限り、自分が死んだ後のことなどどうでもいいのだ。ここまで極端でなくても、「自分たちさえ得をすればいい」というのは、同じ理屈の上に立っている。
キャンプ・ギガジンをはじめるにあたって最初のテーマとして「迷惑広告・詐欺広告」を選んだのは偶然ではない。意図している。
我々の場合、主に収益はGoogleからのバナー広告によって成立している。そしてここにいる者であれば自明の理だが、今のGoogleは組織として「腐敗」しており、規約は「嘘」まみれで何の根拠も無く、そしてGoogleで働いている者は誰もGoogleがあと100年、1000年、1万年持ちこたえることを目標としていないだろう。人間の「寿命」に縛られている。法人は人間ではないので100年でも200年でも存続できるはずなのに、だ。Googleは1つのコミュニティとして見た場合、巨大化しすぎてかなり末期的状態にある。
次回は目指すべきコミュニティとしてのいくつかの基礎のうちのひとつ、「信用と信頼の差」について。
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